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「どうして、あたしはこんなとこでシャワーを浴びているんだ」
 少し熱めの温度にしているシャワーで、冷え切った身体に熱を取り戻していた
加奈子が呟いた。
 その加奈子の呟きから判るように、加奈子は彼女の自宅でシャワーを浴びている
わけではない。と言っても、同級生や親戚の家に遊びに来ているわけでもない。
 現在、加奈子は駅裏に乱立している中のとあるラブホテルの一室に居た。
もちろん、こんなところに加奈子一人で入る用件なんて物はない。加奈子は、成り行き
とはいえ、潤平とラブホテルに入ることになったのだった。
 この薄い浴室の壁の向こうに、潤平が座っている。そんなことを考えると何だか
恥ずかしくなる。
「そもそも、どうしてこんなことになったんだったっけ?」
 加奈子は、排水溝へと流れていく水流を見つめながら、この数日の事を思い返していた。


〜 triangular lovers 〜 



 それは水曜日の休憩時間のことだった。
「なあジュンペー。今度の土曜日って時間ある? って言うかもちろん暇だろ? 
 見たい映画あるんだけど見に行こうぜ」
「はあ? 何で俺なんだよ。他のやつ連れてけばいいだろ?」
「いいじゃん、どうせ暇なんだろ? それに、他の奴ら用事あるんだってさ」
 実は最初に楓を誘っていた加奈子だったが、楓に
『ごめんね、この土曜日と日曜日は陸上の記録会があるんだ……それが無かったら
 絶対に行ってるのに……うう』
 と断られていたのだった。別に、他に友達がいないことはないが、映画の内容が
任侠映画だったため、他の友人には少し頼みづらいことだった。
「それに、ほら。もうチケットは有るんだし。いいだろ、一日くらいさー」
 そう言った加奈子の手の中には、駅前の映画館のチケットが2枚握られていた。
「しゃあねえな。たまにはいいか」
「よっしゃあ! じゃあ、土曜日、10時に駅前に集合な! 遅れんなよ!」
「はいはい。判りましたよ」
 その返事を聞き上機嫌で去っていく加奈子。その姿を微妙な表情で見つめる姿が
教室内にあったのだが、その視線にはその場の誰もが気づくことはなかった。



 日が変わり土曜日。つまり、今朝のことになる。
 時刻は午前10時になろうかと言う時間。駅前の広場に一組の男女の姿があった。
「住吉、もう待ってたのか。少し待ったんじゃないか?」
「いや、ちょっと前に着いたとこ。んなの気にしなくてもいいよ。じゃ、行くか」
 そう言い放ち、先立って歩き出す加奈子。その後を追うように潤平も歩き出した。
 実際には、加奈子はこの待ち合わせ場所に1時間前にはとっくに到着していた。
この後のことを考えていると、昨日の夜も、今朝もきちんと眠れなかったのである。
『何て言うか、あれだな。今来たとこって言うの。思ったより悪くない気分だ』
 加奈子は、他のカップルの待ち合わせでよく耳にする「今来たとこだよ」と言う言葉が
あまり好きではなかった。他人事だったし、元々気の短い加奈子だ。待ち合わせの時間の
かなり前にその場所に来て、じっと待っている人たちの気持ちがよく分からなかったからだ。
よって、加奈子は早くても待ち合わせ時間の5分程前にしか約束の場所に来ることが
なかった。(もちろん、時間に遅れることは殆どないのだが)
 でも、今朝はあまりにも眠れなくて、準備も済ませた後もまだまだ時間に余裕があった
ので、早目の時間に待ち合わせ場所に向かっただけだ。ただ、今日のこれからの事を
考えていると、その一時間ほど有った待ち時間もあっという間に過ぎ去っていったのだった。
 そこから映画を見終わるまでは、特にこれと言ったことは何もなかった。少し余裕を
持って映画館に入ることが出来たし、そのまま二人で並んで映画も見れたのだが、
正直に言ってあまり映画の方はいい出来とは言えなかった。役者がどうとか
そういうものでなく、全体的に何だかちゃちな作りでありがちな展開だったためであった。
 それでも、初めて二人きりで来た映画館で見た映画である。内容が微妙だったとしても、
二人で見に来たという『思い出』が出来たので、加奈子は十分満足であった。
(これで、もうちょっと内容がおもしろかったらよかったんだけど)
 加奈子は内心でそうため息をつきつつ、潤平に振り返り話しかけた。
「なあ、潤平。腹へらねぇ? どっかその辺で飯食おうよ」
 時刻は、ちょうど1時を回ったところだった。
「そうだな。お、ちょうどそこにマックがあるじゃん。ちょっと寄ってくか」
「えー、マックかよー。もっと高いもん食べさせろよー」
「何で俺が奢る事前提なんだ! それと何だか天気も怪しくなってきてるみたいだし
 早めに建物の中に入った方が良さそうだぞ」
 潤平の言うとおり、空にはどんよりとした雲が漂ってきていて、確かにいつ雨が
降り出してもおかしくなさそうだ。
「ちっ、しょうがない。それで手を打つか」
「おい、自分の分はちゃんと出せよ?」
「これくらい奢れよー」
 そんな軽口を言い合いながら、そのファーストフード店へと入っていった。


 そこでの会話は、やはりと言うか先ほどの映画の内容が殆どで加奈子が先ほど持った
感想はどうやら潤平も同意見だったらしい。
「おもしろくなかった訳じゃないけどさ、何だか先が読めるっつーか。ラストも
やっぱり、っていう感じだったな」
「やっぱり潤平もそう思った? メインだった銃撃戦もあっと言う間に終わっちゃったし」
(でも、楓はそういうのが好きなんだろうな)
 加奈子はそう思ったが口には出さなかった。潤平がこの話題に食いつくのは目に
見えているし、出来れば二人だけのこの時間に、楓の名前は出したくなかったのだった。
(あたしって、やっぱり嫌なやつなのかな。もし、楓があたしと同じ立場だとしても、
きっと何の躊躇いもなく今の話題を出すんだろうな)
 加奈子は、楓のそう言った裏表のない性格が好きだったし、少し苦手にも思うところ
だった。好きな人の前でも、普段どおりに振舞える楓が羨ましかった。それに比べて
自分は、潤平の前では素直になれない。いや、潤平の話題が出るだけで自分の気持ちとは
違う行動と取ってしまう。そんなところが嫌になる。
(まったく。どうして、こんなことで悩みこまなくちゃなんないんだ! これも、
 全部潤平のせいだ)
 深く考え込んでしまうと、自己嫌悪に陥りそうになったので全て潤平が悪い、と
割り切ることにしている加奈子だった。


「さて。昼も食ったし、ジュンペー。まだ時間あるよな? まだちょっと付き合ってよ」
「へいへい。分かりましたよ」
 ファーストフード店を出た二人は、駅前の商店街へと繰り出した。
 休日の商店街は、二人と同年代のカップルが多く歩いており、潤平と加奈子も
さながら付き合い始めの恋人同士に見えなくも無かった。
(えへへ。ジュンペーと買い物♪)
 そんな浮かれている加奈子とは対照的に、潤平の方は何だか辺りをキョロキョロと
見回していて、何だか挙動不審な様子であった。
「ん? どしたの? ジュンペー。探し物?」
「い、いや!? な、なんでもないぞ!!」
「? へんなの」
 加奈子には知る由は無いのだが、このときの潤平の内心はこうだった。
(最近この辺を歩くと、ほぼ確実にネコと出会っちまうんだよなぁ……。
 うう。たまにはネコと会話のない一日を過ごしたいもんだ)
 だが、そう思えば思うほどうまく行かないのが潤平である。この時もきっちりと
潤平の後に居た一匹のネコが声を掛けた。
『あっ、兄ちゃんが高坂じゅんぺーさんかい? あの猫地蔵のさ』
 ビクッと肩を竦ませつつも、後ろをゆっくりと振り返る潤平。そこには、案の定
彼への依頼を待っているネコが座り込んでいた。
『いやあ、この辺で待ってたらきっと通るって聞いたもんだからさ。どうか俺っちの
 話も聞いてやってくれよ』
 そのネコは少し年老いたトラネコの雄だった。首輪を着けているところを見ると
飼い猫のようだが、毛並みはあまり良くなかった為、首輪がなかったら野良猫と見間違う
かもしれない。
「いやあ、今日はちょっとこいつに付き合わないとダメだからさ……」
「どしたの? 潤平……って、あー! トラじゃん。久しぶりに見たなぁ。
 まだこの辺に居たんだ」
 急に立ち止まった潤平が気になった加奈子は、潤平の視線の先にいるトラネコに
気づいた。どうやら、加奈子はこのネコのことを知っているらしい。
(ああ……結局今日もこうなるのか……)
 潤平は、加奈子がそのネコに興味を持った瞬間にこのネコを振り切ることを
あきらめたのだった。そもそも、人間が通ることが出来ない道にも詳しいネコから
逃げ切れるとも思えないが。
 取り敢えず、潤平はそのネコの話だけでも聞くことにした。
『実はな。俺っちの主人なんだけどさ。この辺りの町で露店商をやってるんだよ。
 でも最近全然売れ行きが悪くってなぁ。あの人がその日食事を取れるかどうかって
 位なのに、俺っちの分の食事だけは毎日欠かさず用意してくれてんだ。それが何だか
 申し訳なくってさ。それで、兄ちゃんさ。一つだけでもいいから商品を買ってやって欲しい
 んだ。それで、出来れば友達とかに広めてやってくれないかな?』 
 トラと呼ばれたそのネコは、話し終わると潤平に背を向けこちらを振り向いた。
「トラ、付いて来いって言ってるんじゃない? 行ってみようよ、ジュンペー」
「……そうだな」
 いつものネコの依頼に比べ、どうやら簡単に終わりそうなもので内心安堵しつつ、
その露天で何を買わされるのか。少し心配になりつつも潤平はその後を追った。



 トラと出会った商店街から少し歩いたところ。雑居ビルがそこ彼処に立ち並ぶ
その一角の路地に、その露天はあった。歩道の片隅に、黒い絨毯を引きその上に
ずらっとシルバーアクセサリーが並べて置いてある。こういうアクセサリー類に疎い
潤平だったが、それでも素晴らしいと感じるほどの出来具合のものばかりだった。
「うわあ、すっげえ綺麗! おじさん、これ見てってもいい!?」
「おお、好きに見てってくれよ」
 加奈子は、この露天を一目見て気に入ったようで、様々なアクセサリーを見比べている。
 ここに置いてあるものは、女性が喜びそうなイヤリングや、すこし背伸びをしたい
男子高生が喜びそうなリングなど様々な種類が置いてあり、価格も言うほどに高くは無かった。
(こんな値段で売ってるんだ。だったら、一つくらい買ってもいいか)
 その内の一つ、見た目で一番高価そうだったブローチを手にとって金額を見たが、
それくらいならまだ許容範囲。加奈子もどうやら気に入ったようだし、トラからの
依頼もある。だったら、加奈子にここで何か買い与えた方が得策だろうと潤平は考えた。
それに、この辺りで何か渡さないと、後々もっと高価なものをねだられたりしては
堪ったものではない。
「おい、住吉。一つだけだったらどれか買ってやっても良いぞ」
「え!? 本当? じゃあ……これにすっかな♪」
 そう言って手に取ったのは、小さなシルバーリングで、装飾は特になくリングの淵に
柄が彫ってるだけのシンプルなものだった。
「本当にそれで良いのか?」
「うん、もちろん!」
 潤平としては、かなり少な目の出費で済んだため願ったり叶ったりなのだが、
先ほどトラネコの話しを聞いたばかりなので、なんだかこの店主に申し訳なく思ってしまう。
「あ、すみません。俺たち、ここに置いてあるの気に入ったんで今度他の友達に
 紹介しても良いですか?」
「おお、それは嬉しいね。場所が悪いのか、最近さっぱり売れなくてね。そうして
 くれると助かるよ」
 トラが話のとおり、とても人のよさそうな笑顔でそう答えられると、潤平としても
何だか嬉しくなってしまった。
「じゃあ、おっちゃん。ついでに、このリングもちょうだい!」
 加奈子はそう言って、同じ柄のリングを一つ手に取り、店主へと手渡した。
「はいよ。どうもありがとね」
「ありがと。へへー。はい、これジュンペー」
 そう言って加奈子は今買った分のリングを潤平へと手渡した。
「は? 俺に?」
「そう。ペアリングってやつ? 今日くらい別にいいだろー?」
 とても気持ちのいい笑顔でそう言われたので、潤平に断るという選択肢は出なかった。
「……おう、さんきゅな」
「素直でよろしい! じゃあ、ありがと、おっちゃん!」
「実は、まだそんな歳じゃあないんだけどな……まあいいや。今度もよろしく」
「どうもありがとうございました。じゃあな、トラ」
『兄ちゃん、どうもありがとうな。また今度何かあったらよろしく頼むよ』
 いや、頼まれても困るんだけどなー。と内心苦笑しつつ、二人はその場を後にしたのだった。


 それから数分後。上機嫌だった二人の機嫌を一変にする出来事が起きた。
「うわっ! ついに降って来やがった!」
「うひゃぁっ! つめてー!」
 先ほどまで辛うじて保っていた天気だったのだが、ついにその均衡を破り雨が
降り出したのだ。初めのうちはシトシトと降る小雨程度だったのだが、
近頃の異常気象のせいか。急激に雨足が強くなり、たとえ傘を持っていても
凌げないほどの豪雨となってしまった。
 加奈子は、念のため折りたたみの傘を持ってきていたのだが、これほどの豪雨では
そんな小さな傘など何の役にも立ちそうにない。結局その傘を使うこともなく、
二人で雨の中を走り回る結果となった。
「くそっ! 何処かで雨宿りしないと……」
「おっ、そこの事務所! 今日はちょうど定休日で軒先に入れそうだぜ」
 二人は小さなテナントの軒先に入り、お互い見合わせた。
 潤平は、もうすでに下着の中まで雨が浸透してきており、身体の中に濡れていない箇所はすでになかった。
加奈子の方もどうやら同じ状態らしく、すこし小刻みに震えている。
どうやら、体温を急激に奪われてしまったようだ。
「住吉。大丈夫か? 寒いんだろ?」
「ば、ばーか……これくらいなんともねーよ」
 加奈子は強がってそう言っているが、声がガチガチに震えており、誰がどう見ても凍えているのは丸分かりだった。
「はあ……住吉ほどじゃないにしても、俺も冷えてきたな……このままじゃ二人とも風邪を引いちまうな」
 潤平の呟きに加奈子は何も答えない。それは、加奈子にもう答える元気がないのか、
それともこの豪雨の音によって聞こえなかったのかは潤平には定かではなった。
「くそ、せめてこの雨だけでも止めばまだマシなんだが」
 そう言って空を覗き込むが、周りの空一面暗雲が立ち込めており、まだまだ雨が止む様子はなさそうだった。
「あれは? いや、流石にあそこはなぁ……」
 空の様子を見上げた潤平の目に、この先の路地から煌びやかなネオンの看板が目に
入った。どうやらこの雨雲が辺りを暗くしているおかげで、ネオン光源の主張が
目立つようで、潤平はそれに気づくことが出来たのだが、正直潤平は乗り気ではなった。
「住吉。おまえ大丈夫か?」
「………」
 加奈子からの返事が無かった。潤平は焦って加奈子の身体に触れるが、そこに彼女の体温
らしい温もりは感じられなかった。というのも、加奈子は昨日今日と興奮のあまり良く
睡眠を取れていない。その所為で、いつもより体力が低下していたため、急激な
体温低下に耐え切る事が出来ていないのであった。
「おい、住吉!? くそっ! ここでゆっくりしてる場合じゃないか!」
 加奈子の現状を見て、腹を括った潤平は加奈子の腕を肩に担ぎその看板の元へと
豪雨の中走り出した。そして戸惑う事無く、その建物内へと走りこんだのだった。
 その光り輝くネオンには、こう書いてあった―――ラブホテル、と。


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