幽玄の桜


 白玉楼がある冥界にはいつも成仏の順番待ちをしている霊達が浮遊霊としてたくさん徘徊している。
それは、満月が輝きを放つ夜の日のことであった。いつも不規則にふわふわと白玉楼周辺を
漂っているだけの浮遊霊が、まるで何かに怯えているかのように白玉楼周辺を右往左往していた。
「何か様子がおかしいです。一体どうしちゃったんでしょうか、幽々子様」
 その霊たちの行動を見た妖夢は、少し不安そうな表情を浮かべて彼女の主である
西行寺幽々子に尋ねた。
「……」
「幽々子様?」
 だが、幽々子には思い当りがあるのだろうか、何かを考え込んでいるようで
妖夢の声が届いていないようだ。
「はぁ、とりあえず周りの様子でも見てきますね」
 妖夢は今の幽々子に話しかけることをあきらめ、この辺りに何か原因と
なるものがないかと探しに行くことにした。
(霊たちが何かに怯えてしまっている……冥界の中、いや、冥界の入口近辺に何か力の強い生き物がいる。
 そんなところかしらね―――んん、この様子だと妖夢じゃまだ荷が重いかしら。まあ、仕方ないわね)
「妖夢、妖夢ー! あれ? 居ないのー?」
 簡潔に思考を纏めた幽々子は、すぐに従者へと結論を伝えようとした。
 けれど、幽々子の周りに先ほどまで居た彼女の姿は見受けられない。
 もしかして、考えるより即行動のあの娘のことだ。とりあえず外に出て行ってしまったのかも知れない。
 幽々子は、表情には決して出していないが、内心少しの焦りを感じていた。
「あ、はい! どうしました、幽々子さま!」
 そんな幽々子の葛藤もどこ吹く風、妖夢はいつもの様子で近くの茂みからひょこっと顔を覗かせていた。
 まだ幽々子の声が届く場所に居た妖夢は、すぐに幽々子の元へと戻ってきたのだった。
「よかった。まだ居たのね。―――ちょっと野暮用が出来たの。少しの間出掛けるから、
 ここの留守をお願いね」
「え!? こんなときにどちらへ? 所用でしたら私が代わりに……」
「今日は私が行くわ。それよりも、留守をしっかり頼むわね、妖夢」
 妖夢が言い切る前に幽々子は自らの言葉で彼女の意見をシャットアウトした。
 妖夢の方も幽々子のいつもとは違うのその雰囲気に何かを感じ取ったのだろう、
もう何も言わずに、幽々子の命に従うことにした。
「っ!! ……はい!!」
「あらあら、そんなに固くならなくても大丈夫よ。
 あ、そうだ。あと戻ってきたときに何か美味しいものが食べたいわ」
「またですか幽々子さま……」
 うふふ、冗談よ、と幽々子はいつもの軽い笑みを浮かべ、そよそよと風に乗るように
白玉楼を後にしたのだった。


 冥界を少し出たところに、日が出ている昼間でさえあまり日が差し込まない深い森
が広がっている。その上空を飛行していた幽々子はあることに気が付いた。
「いくら夜の森だからといって、静か過ぎるわね」
 そう、森には森の顔がある。太陽が世界を照らしている昼間は、妖精や人間達の
時間帯で、彼らは空腹を満たすために食料を探しに森へ入る。
 太陽の支配から逃れた時間帯、つまり夜は幽霊や妖怪たちの時間帯。通常なら自らの
テリトリーに迷い込んだ生気を持つモノたちを喰らうために、あるいは単なる暇つぶしを
している姿を見ることが出来るはずだ。
 だが、今日という日、さらには満月という通常の夜とは違う特別な夜なのに、
人間どころかそれを狙う妖怪一匹すら見つけることが出来なかったのだ。
(やっぱりこれは何かあるわね? 雑魚妖怪たちも怖がって今日は姿を出していないなんて)
 そう考えながらも夜の森の上空を飛んでいた幽々子の視界に一つの赤い影が映りこんできた。
「あら〜? どうしてあなたがこんなところに居るのかしら?」
 幽々子は、その姿を見て激しい動揺に襲われたが、何とか表に出さずにその影に語りかける。
 すると、その影は幽々子に向けて人懐っこい笑顔を見せながらこう応えた。
「うふふ。今日はわたし一人でお散歩なの。だって、こんなに月が綺麗な夜なんだもの」
 月明かりがその赤い影の表情を露にさせる。そこには、赤い服に身を包んだ、
吸血鬼の姫君こと、フランドール・スカーレットが満月の夜を闊歩していた。
「あなたのお姉さんはこのことを知っているのかしら?」
 確か、彼女は紅魔館の地下に実姉であるレミリア・スカーレットの手で幽閉されている
筈ではなかっただろうか。幽々子はその確認の意味も込めてフランに話しかける。
「いえ、お姉さまには内緒なの。だって、わたしを地下に閉じ込めて自分ばっかり
 弾幕ごっこで遊んでいるの。それって不公平じゃない? わたしだって遊びたいの!」
 彼女の意見は、傍目に聞けば至極真っ当な意見に聞こえることだろう。
 ただ、彼女自身の性格と能力を知っている人なら、一概にそう聞こえない
かもしれない。彼女は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を有しており、
純粋な破壊力では彼女に並ぶ者はそうは居ないだろう。しかし、その能力の影響か、
彼女の性格の一部も破壊されてしまっており、普通の精神を持つ者ならば
ブレーキをかける場面でもフランはフルアクセルで突っ切ってしまうのだ。
 それを憂いたレミリアは、彼女を紅魔館の地下に幽閉してしまったのだが、先日の
紅霧異変(東方紅魔郷)以降、その辺りの事が少し曖昧になってしまっているようだ。
 幽々子がその思考の海に漂っていると、フランはあははは、と大きな声で楽しそうに
笑いながら満月を指差しくるくるとその場で回転をし始めた。
「ねえ、そんなことよりも遊びましょう? せっかくこんな月が綺麗な夜に出会えたのよ。
 あのお月様に負けないほど綺麗な弾幕の花をお互いに咲かせる、弾幕ごっこを始めましょう!」
 幽々子の意見を聞く前に、フランは両手を水平に伸ばした。その瞬間、両の手の平から
大量の弾幕が幽々子に向かって打ち出され始めた。
「あらあら、せっかちなお嬢さんね」
 幽々子は、彼女のトレードマークとも言える扇子を口元にかざしてボソッと呟いた。
その間にもフランの両手から放たれた大きな弾や小さな弾が幽々子に向かって速く遅く
飛び込んでくる。幽々子はそれにあわてる事無く、身体を静かに左右に揺らして的を
絞らせず、尚且つ最小限の動きでフランの弾幕を掻い潜っている。ゆらゆらと身体を
揺らして弾幕をよけるその姿は、まさに亡霊そのものと言っても過言ではないだろう。
「わあ、お姉ちゃんすごいや! じゃあ、これならどう!?
 『禁忌:レーヴァテイン』!!」
 次の瞬間、フランの手の中にとてつもなく巨大な炎の剣が現れた。フランは苦もせず
その剣を振りかざし、幽々子に向かって振り下ろした。
 巨大な獲物は手元から先端までのスピードにずれが生じるものだ。それはこのスペル
カードも変わることはない様で、振り下ろした腕より一拍ずれて剣線が幽々子に向かって
降り注いだ。フランの腕の動きをしっかりと見ていれば、炎の大剣をよける事自体は
そう難しいことで無かった。だが、このスペルの恐ろしいところは避けた後に待っていた。
 炎の大剣から飛び散った火の粉が、全て弾幕に代わって幽々子へと降り注いでいく。
その火の粉に注意を向けていると、再度振りかぶられた大剣が幽々子に向かって振り
下ろされる。そしてまた火の粉の弾幕が襲い掛かるという、正に反撃の機会を与えない
スペルカードだった。
「これ……まともに当たると怪我じゃすまないわよ!?」
 フランの性格の所為なのか、彼女の能力の所為なのかまでは判らないが、彼女の
弾幕には一切の加減というものが加わっていなかった。
(妖夢を連れて来なくて正解だったわ。あの子だと無理して突っ込みそうだし)
 幽々子は先程の様に身体をゆらゆらと左右に揺らし始めた。不規則に身体を揺らすこと
によって、相手の追跡弾を煙に撒くことが出来ている。だが、大剣そのものが幽々子に
襲いかかってくるため、どうしても大きく退避せざるを得ない。幽々子は速くて大きな動きが
苦手だった。そのため、第一に大剣を避けることを考えてしまい、軌跡から現れる小粒の
弾が彼女をさらに苦しめていた。
(このままじゃジリ貧だわ……何とかしないと……)
 炎の大剣レーヴァテインを辛くも回避しつつ、幽々子は次の策を練ろうとするが、
段々と激しくなるフランの攻撃に頭を働かせることができない。
 一方フランは、今までとは違って屋外での弾幕ごっこに夢中になっていた。
室内ではないため、レーヴァテインを思う存分に振り回すことができる。それに、
どれだけ振り回してもまだ幽々子は弾幕に飲み込まれることなく回避し続けている。
自分と同じような力を持つ相手が姉以外に目の前にいる。それが堪らなく嬉しかった。
「アハハ、すごい、すごいよ!!」
 フランは満面の笑みを浮かべながら両手に持った剣を右から左へと水平に振り切った。
今まで縦の動きが多かった剣の動きが、急に横の動きに変わったことに
幽々子は少し慌てたが、高所から急降下をすることで何とかその剣の軌跡から
逃れることができた。
 その時、幽々子の視界の中、深い森の奥に小さな一つの人影が映りこんだ。
(あ……あれは!? ……なら!)
 もちろん、それを見逃す幽々子でなかった。あの影の主と協力出来ればこの彼女の
一方的な『弾幕戦』を何とか『弾幕ごっこ』のままで終わらせることが出来るかもしれない。
 瞬時にそう判断した幽々子は、そのまま急降下をせず、逆にフランへと向かって
急上昇を始めた。
「遅いよっ!!」
 フランは急上昇してくる幽々子を撃退しようと、大剣を左腰下に構え、そのまま袈裟斬りの
要領で切り上げた。それを見た幽々子は手にしていた扇子を顔の前で広げた。
 だがそのまま上昇する速度を下げることなくフランに向かって急上昇を続ける。
(こういうことはあまり得意では無いのだけれど)
 そのままの勢いでフランが放つレーヴァテインへと突っ込む幽々子。そして、炎の剣の
切っ先が幽々子へ触れる瞬間、彼女は手にしていた扇子を大きく開いた。
「『亡舞:生者必滅の理』!!」
 次の瞬間、幽々子は自身に襲い掛かっていた大きな炎剣をすり抜けていた。
 そして、彼女の手に持つ扇子から大量の紫色の蝶が舞い散り始めた。
幽々子は、フランの炎剣に対して喰らいボムを行ったのだ。先の
春雪異変(東方妖々夢)の際に霊夢に多用されたので、幽々子自身にも
あまりいい思いはしないが、この場合仕方がないこととして割り切ることにした。
 次は逆にフランが幽々子の弾幕を避ける番となった。大量の紫蝶がフランの周りを
隙を伺うように円を描いて飛び交っている。そして、一羽の蝶がフランに向かって
飛び掛ったのをきっかけに、後続の蝶も後を追いかける。その光景を遠くから見れば、
中心にいるフランを目掛けて進む蝶達の姿が綺麗な螺旋を描いていることが
はっきりと目視できたことだろう。
「きゃあっ!?」
 フランは不意に激しい反撃に驚き、炎剣を持つ手を離してしまった。その瞬間、
炎剣は跡形もなく宙に消え去ってしまった。
「こ、のおっ!」
 幽々子とは逆に、フランは繊細な動きがあまり得意ではなかった。
素早い動きと激しい運動量で相手を圧倒する、それが常だったフランにとって、
速度が遅くて不規則な動きをするこの蝶の弾幕は苦手な部類に入っていた。
 完全に避け切る事が出来ずに、腕や足に数匹の蝶が掠めていたが、
満月の夜の吸血鬼には大したダメージというものは与えられていなかった。
「やっぱりこの程度じゃダメよね……さて、今のうちにっと」
 幽々子の目的は、このスペルでフランを消耗させることではなかった。
いや、消耗するに越した事はないのだが、それほど期待はしていなかった、
という方が正しいだろう。一番の目的は、大量の蝶によりフランの視界を塞ぎ、
この場所に足止めをすることだった。そうすることで先程姿を見掛けたあの人影の元へ
向かうことができるようになる。その為だけに幽々子はこのスペルを使ったのだ―――



「うーん、師匠が言ってた薬草この辺に生えてる筈なんだけど……暗くてよくわかんないなぁ」
 兎の耳を生やしたブレザー少女こと、鈴仙・優曇華院・イナバは、満月の夜の下、
深い森の奥にて薬草採取を行っていた。
「それにしても最近師匠の人扱いというか兎扱いが荒らすぎるような気が……
 いくら満月の夜にしか咲かない薬草だからって、こんな遠くの森まで一人で越させるなんて。
 今度てゐの所の兎達とストライキでも起こしてみようかな」
 師匠への忠誠からか、元々の彼女の性格からなのか。ブツブツと独り言を繰り返しながらも、
鈴仙は薬草をずっと探し続けていた。彼女の頭の真上で、弾幕ごっこと呼べないほどの
激しい弾幕戦が繰り広げられていることに気付かないまま。
「ねえ、そこのあなた」
「ひいっ!? だ、誰ですか!? もしかして、お、お化け!?」
「まあ、当たらずとも遠からず、といったところかしら?」
「え……幽々、子さん?」
 屈みこんで薬草を探していた鈴仙の真後ろに、幽々子が立っていた。
 鈴仙は幽々子の姿を見て、何だかいつもよりも少し煤けているような印象を受けた。
「って、幽々子さんって幽霊じゃありませんでしたっけ?」
「あら、わたしは幽霊じゃなくて亡霊よ。この姿になりたくてなったんだから……
 ってそんな悠長に話をしているヒマなんてないわ。ちょっと手伝って欲しいのだけど」
 幽々子は普段、滅多にしないような真面目な顔つきで鈴仙の目を見つめた。
「手伝い、ですか……」
 鈴仙は敢えて彼女からの視線を外して考え込む。
(私の目の事も忘れるくらい何か大変な事があったのかも)
 鈴仙の目は狂気の目といわれており、彼女の目を直視した人は狂気に支配される、
といわれているが、先ほどの幽々子はそんなことを関係なく鈴仙の目を覗き込んで
頼み事をしていた。いくら、彼女が普段のらりくらりと過ごしていたとしても、
鈴仙の目を覗き込む真似などはしないだろう。そのことから、鈴仙は幽々子は今
退っ引きならない状況に陥っているのだろうと推測したのだが……
「少しくらいなら構いませんよ。ちょうど私も休憩したいところだったんです」
 結局鈴仙は、幽々子の頼みを受けることにした。夜はまだまだ長いのだ、
少しくらい寄り道したところで何も問題はないだろう、と鈴仙は思い直したからだった。
「あなた確か幻覚も扱えたわよね?」
「はい、厳密に言えば相手の感覚に干渉して惑わせているだけなんですけど」
「それって、相手が誰でも効果は出るの?」
 例えば……吸血鬼とか。
 幽々子は敢えてその部分をぼかして鈴仙に質問を続けた。
「種族によって多少効きが違うみたいです。あと個人差も有るみたいで……
 試してみないと何処まで効果があるのかは解らないかも」
「じゃあ質問を変えるわ。そうね……例えば―――」


「ええい、鬱陶しい! 『禁忌:禁じられた遊び』!!」
 周りを回り続けている蝶に嫌気が差してきたフランは、両手に何処からともなく
十字架を出してそれを辺り一面に投げ出し始めた。彼女の身体程もあるだろう十字架は、
見る見る内に数を増やしていき、その数は軽く10は超えているだろう。
 彼女が投げ出した十字架は、フランの周りを飛んでいた蝶達を薙ぎ払いながら飛んで行く。
 そして、ブーメランの様に大きく弧を描いてフランの元へと戻ってくるが、
フランはそれを受け取ることはせずに後方へと逸らせてしまう。
 だが、彼女の後方へと飛んでいった十字架は再度大きな弧を描いて彼女の元に向い始める。
 それを10数個の十字架が同時に行っているのだ。彼女の周りに飛んでいた蝶は
あっという間に姿を消してしまった。
「あれ? さっきのお姉ちゃんがいない……?」
 彼女の十字架によって蝶が一掃されたことにより、彼女の視界が元に戻っていた。
 だが、そこに先程までいた幽々子の姿は見受けられない。
「もしかしてこの十字架で消し飛んじゃったのかなぁ?」
 自分の出した十字架も少し鬱陶しくなってきたフランは、飛び交っている十字架を
一度全部消してしまった。そうして、先程まで森の上空を飛び交っていた弾幕の嵐は
すべて消え去り、元の静かな夜の姿に戻っていた。
「なーんだ、結局もうお終いか。つまんなーい」
「あらあら、退屈させてごめんなさいね」
「ちょ、幽々子さん!? 吸血鬼相手なんて聞いてませんよ!?」
 いつの間にそこに移動したのだろうか、幽々子と鈴仙はフランの真後ろに二人並んで浮いていた。
「あ、さっきのお姉ちゃんだ。よかった、まだ居たんだ。あはは、早くさっきの続きしようよ」
 フランは、幽々子が先ほどの十字架投合で消滅していなかったことに心からの
笑顔を浮かべていた。だが、それは殺してしまっていなくて良かった、と言う笑みではなく、
まだ楽しい時間は続けられるんだ、という意味から浮かんだ笑顔であった。
「うう……やっぱりみんな兎扱いが酷いような気がするよ……」
 鈴仙は涙目になりながらも、幽々子の隣を離れることはなかった。
いや、むしろこの場から離れてしまうと、逆に自分が狙われるような気がしたから
動けなかっただけなのだが。
「あらら、そんなにいじけなくてもイイじゃない。ほら、さっきの約束、ちゃんと守るから〜」
「もう、判りましたよ! もうここまで来たら逃げられないんですし、
 いっそのこと思いっきりやり切ってやります」
 鈴仙は、むん! と両手でガッツポーズをした。どうやら自らに気合を注ぎ込んでいるようだ。
「と言う訳で、先手必勝!! 『波符:マインドシェイカー』!!」
 気合を充填し終えた鈴仙はフランの目を見つめながら、右手を銃の形にした。
その指先はもちろんフランの方を向けている。その格好のまま、鈴仙はフランに
向かってスペルカードを発動させた。
 『波符:マインドシェイカー』。このスペルは鈴仙の弾を二重にぼやかすことで、
実際の弾と幻視の弾を混同させるスペルである。人間などの幻惑に掛かりやすい
種族には、このスペルを使って数列弾幕を張れば幻視の弾幕に被弾してしまう程に
精神を犯すことも可能なのだが……
「あはは、温い温い!!」
 フランはスイスイと鈴仙の弾幕を避け切っている。彼女の飛行スピードは、
幽々子や鈴仙のものと比べるまでもなく素早い。まるで鈴仙の弾幕が止まっているかのように。
「……やっぱり吸血鬼には幻惑が効かないのでしょうか?」
 先ほどのやる気はどこへ行ったのか、鈴仙は両肩を沈め、
どんよりとしたオーラを全身に纏ってしまっていた。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫。ほら、あの子の動きをよく見て」
「え……?」
 鈴仙は気を取り直してフランの動きを目で追いかけ始める。
 フランは、たしかに素早い動きで弾幕を回避しているが、それは幻視の弾幕も
同時に避けているのだ。つまり、彼女は今少なくとも幻視の弾幕は見えている……!
「でも、当たらないと弾幕張ってる意味ないじゃないですか」
「大丈夫。あの子にも幻視は通用する、っていうのが解っただけでも御の字よ」
 それじゃあ少しの間頑張ってね、と幽々子は一言残して鈴仙から離れていった。
「本当にそうなのかな……何かうまく誤魔化されてるような気もするけど……あ!!
 あれこれ悩んでる余裕なんてない、早く次の手を打たないと!」
「あれ?今度は兎のお姉ちゃんが相手してくれるんだ。えへへ、
 今日は遊び相手がたくさんいて、本当に楽しいな!」
 フランの何気ないその一言が鈴仙の胸に響き渡った。
(”今日は”遊び相手がたくさん居て……? じゃあいつもこの子は一人ぼっちなの?)
 力が強すぎて、力が強い妖怪たちの為のルールである弾幕ごっこすら満足に出来なくて。
そしていつの間にか一人ぼっちになってしまって。でも悪気は無いから何が
原因なのかが全然解らない。だからいつまでたっても一人ぼっちのまま。
(……そんなの、悲しすぎるじゃない)
 昔、鈴仙が幻想卿に来たばかりの時は一人だった。だが、彼女には同じ月に
居た人達が居た。その人たちを頼ることができたから、今の自分がここに居るのだ。
また生まれや見た目は違うが、地上にも妖怪兎はたんと居る。それに、生意気だが
てゐだって。今や、彼女たちは、鈴仙にとって掛け替えのない仲間である以上に家族だった。
(私がどこまでその代わりになれるか解らないけど……)
「私の全力で、あなたに教えてあげる。本当の弾幕ごっこと言う遊びを……!!
『狂符:ビジョナリチューニング』」
 鈴仙は真っ赤に光る双眼でフランを見つめ続ける。一方、フランの方も何かに
引き寄せられるかのように鈴仙の赤い目を見つめ返している。その目に魅入られて
いるかのように、鈴仙と目を見つめあう以外に行動を起こすことが出来なかった。
 その間、鈴仙の指から再度ピストルの様な弾幕が発射される。今度はフランを
左右から同時に襲いかかるような形を作っていた。
 フランはその弾幕を見て我に返り、一度弾幕を全体的な視覚情報として取り入れる
ためにその場から大きく後退した。
 だが、その行動こそが唯一の間違い。このスペルは時間が経つに連れて、
相手に幻視の弾を魅せるチューニングを行うスペルである。この弾幕を体験している
時間が長くなれば長くなるほど幻視がさらに激しくなっていき、見えるはずのものも
見えなくなり、見えていないはずのものが見えてくるようになってしまう。
 例えば、実際には一発の通常弾しか撃たれていないのに、まるでスペルカードを
使用しているかのような弾幕に映ったり。あるはずのない巨大な迷路に迷い込まされたりと。
「私は確かに力は強くないわ。その辺りにいる妖怪と対して変わらないかもしれない。
 それでも、この様にうまく力を使えばあなたを翻弄させるくらいは出来る!!」
 鈴仙のその言葉通り、フランは先程後退した場所から動くことが出来なかった。
彼女の目には今、隙間もないほどの無数の弾幕が目の前を飛び交っている。
フランの視覚的には、すでに数回身体に被弾している筈だった。だが、
体感では夜風が身体を撫ぜて何処かへ飛び去っていくのみであった。
「やだ……ナニコレ……怖い、怖いよ……」
 フランは目の前に広がる弾幕がただ怖かった。普段の自分ならスイスイと
避けられる程度の速度しかないのに、そんな隙間すらない数の暴力。
元々不安定な彼女の精神が、自らの恐怖という感情に破壊支配されるのは
そう時間がかかることではなかった。
「そっか、全部壊しちゃえばいいんだ。あははは……なあんだ、簡単なことじゃない」
 フランの顔から先ほどの笑顔はすでに消え失せていた。今の彼女の表情は、
獲物を狩る時の肉食獣の様相を呈していた。
「『禁忌:フォーオブアカインド』……みんな、みんな消えちゃえ!!」
 次の瞬間、今度はフランの身体が大きくぶれ始めた。だが、それは幻覚なのではなく、
実際に彼女の身体がぶれているようだ。
「何……なの? 身体が……分かれていく!?」
 鈴仙は彼女の行動をただ目で追うことしか出来なかった。
 フランの身体がさらに大きくぶれ出したかと思うと、彼女の周りに3人、つまり合計で4人。
全く同じ姿形をしたフランドール・スカーレットが先ほどまでフランが佇んでいた場所に鎮座していた。
「あはははは!!! 消えちゃえ!!」
 そして4人が4人とも、全くのバラバラの方向に弾幕をバラ巻き始めた。
 どうやら鈴仙や幽々子を狙って撃っている訳ではなく、フランの目に映っている
もの全てを撃ち落とそうとしているようだった。
「キャッ!? もしかして私の能力って逆効果だったんじゃ……」
 鈴仙は、自らに向かって飛んでくる弾を避けることに必死になっていて、
フランに向かって行く事まで出来そうには無かった。また、鈴仙の弾幕ではフランの
火力には対抗出来そうにない。つまり、鈴仙にもう打つ手は残っていなかった。
「いえ、そんなことはないわ。あの子にまだ幻視作用は残ってるわよね?」
 鈴仙が幻視の弾幕を放っている間、何処かに隠れていた幽々子がひょっこりと鈴仙の元へ戻ってきていた。
「はい……でも、それも切れるのは時間の問題のようですけど」
「まだ残っているのなら十分。それじゃあ、さっきの打合せ通りによろしくね」
 そう言って幽々子は鈴仙にウインクを残して四方八方へ弾幕を飛ばしている
フランの更に上空へと向かって行った。だが、幻視の弾幕を打ち消す事で
手一杯になってしまっているフランはそのことに気が付いていない。
「さて、じゃあそろそろ遊びの時間はお終いよ、吸血鬼のお嬢ちゃん。
 よい子は早くお家に帰っておねんねしなさい」
 幽々子は手に持っていた扇子を再度開き、両手で中の柄をフランに向けるように
持ち直して両目を閉じて集中し始める。数秒の間そのまま集中していた幽々子は、
不意に目を見開いてその扇子を両手で閉じると同時にスペルカードの名を唱えていた。
「『反魂蝶』」
 その直後、フランの目に映っていた鈴仙の弾幕は全て消え失せた。
変わりに、天まで届きそうな程大きな桜の大木がフランの背後にそびえ立っていた。
「桜の……木?」
 突如現れた大木に、4人のフランは一斉に動きを止めていた。その桜の大木は、
既に満開の花を咲かせており、この世の物とは思えない程の妖艶さを醸しだしていて、
桜の花びら一枚一枚にまるで魅了の魔力が込められているかのようであった。
 その時、一陣の風が吹き抜けていった。その風に乗って大木から桜の花びらが
大量に飛び散って行き、桜吹雪となって4人のフランへと降り注ぐ。
「キャッ!? 花びらが……」
 その花びらがフランたちの身体にに纏わり着いていく。しかもただ纏わり付くではなく、
花びらが触れている箇所から力を吸い取られている様な感覚をフランは覚えていた。
「力が……入らない……」
 そして、一人、また一人とフランは姿を消していき、すぐに彼女は元の一人だけに戻ってしまっていた。
「こんな……ことって……」
 そして、最後に残ったフランも宙に浮かび続けることも出来なくなっていた。
じわりじわりと彼女は高度を落としていき、数秒後地面へと落下をし始めてしまった。
「危ない!!」
 鈴仙は地面へと落ち始めていたフランを助ける為に飛び込んで行った。
いくら吸血鬼でも、下に木が茂っていたとしてもこの高さから落ちてしまったらタダではすまないだろう。
「―――届けっ!!」
 フランの身体が森林の枝の先に触れるその刹那、鈴仙の手がフランの手を掴み上げていた。
「良かった……ギリギリ間に合って」
 鈴仙はそのままゆっくりと地面へと降下して行き、フランの身体をゆっくりと
地面へと横たわらせた。そして鈴仙は彼女の身体に外傷の有無を確認し始めた。
「何処も怪我はしてないみたい……よかった」
 鈴仙はそのことに心から胸を撫で下ろした。一方のフランはと言うと、
何処か幸せそうな笑顔で寝息を立て始めていたのだった。


「どうもありがとう。貴方のおかげでだれも怪我をせずに済んだわ」
 幽々子はそう言って鈴仙に深々と頭を下げて礼の意を込めた。
「いえ!? そんな私だけでは何も出来ていませんよ!
 逆に途中で私なんかボコボコにされちゃってますって」
 鈴仙の言葉は謙遜ではない。実際にフランがフォーオブアカインドを
使った後はもう彼女になす術は残されていなかったのだ。
「それに幽々子さんのスペル、初めて見ましたけど……」
「反魂蝶のことかしら?」
 最後にフランの意識を奪ったスペルカード、『反魂蝶』。
 このスペルカードは、白玉楼にある西行妖(さいぎょうあやかし)という桜の
魔力を使ったスペルだ。以前は桜が咲く時期に、それも他所から春を集めてまで
使ったスペルでもある。だが、今は白玉楼内ではないし、桜が咲く季節などでもない。
だから、鈴仙の幻視の力を借りたのだった。先程幽々子が鈴仙に頼んだことというのは、
フランに幻視をかけた場合、幽々子自身にも幻視をかける、というものだった。
 そして、彼女はもう一つ鈴仙に頼みごとをした。それが先程の天まで届く桜の大木だった。
あるはずがない巨大な妖怪桜をこの場所に発現させて、反魂蝶を発動させる。
半ば賭けの部分が強すぎる事項ではあったのだが、どうやら全て上手く事が運んだようであった。
(それでも、やっぱり本当の反魂蝶は出せない……か)
 全てが幻視の世界の出来事だった。だから、このスペルも幻視の世界だけでも
本当の姿を表せるかと幽々子は踏んでいたのだった。
「そんなことよりも、その子の事頼んでもいいかしら」
 幽々子は、鈴仙の腕の中で眠るフランを見てそう問いかけた。
「わたしが紅魔館へ連れて行ってもいいのだけれど、変な誤解されそうじゃない?
 貴方達って確か紅魔館にも出入りしていなかったかしら?」
「まあ、確かにそうですけど……」
 鈴仙は幽々子とフランの顔を交互に見比べて悩み続けていた。
だが、やがてフランの身体の位置を整え始めた。
「乗りかかった船ですし、仕方ありませんね」
「そう言ってくれると助かるわ。こちらでも幽霊たちを沈めないといけないのよ」
 そうして、幽々子はふわふわと宙に浮き上がり、鈴仙達を見下ろしながら別れの言葉を告げる。
「あなたのお師匠様に伝えといてちょうだい。今日の件でまたいつかお礼でもしに行くってね」
 そうして、幽々子は白玉楼への道を戻って行ったのだった。
「じゃあ、私もそろそろ戻らないと。この子を送っていったらすぐに朝になっちゃう」
 鈴仙は、フランを自らの背に乗せると、幽々子とは逆の方へ飛び去っていった。
 そして、当人達だけしか知らない激しい弾幕ごっこの幕が降りたのであった。


「やっと着いた……あの場所からここまでこんなに遠いなんて聞いてなかったわよ」
 鈴仙は疲れはてた顔で紅魔館の塀に沿って、門を目指して歩いていた。
 何とか門の前に辿りついた鈴仙の前に、幸せそうな笑顔で眠っている
赤い髪の門番が横たわっていた。
「こっちはこんなに苦労しているって言うのに……ほら、起きなさい!!」
「ふぇっ!? あ、薬屋のところの……って妹様!?」
 鈴仙にたたき起こされた紅魔館の門番である紅美鈴は、
彼女の背ですやすやと寝息を立てているフランに直ぐに気付いた。
「この子、どうやら勝手に抜け出したみたいなの」
「そ、そうだったのですか……それはとんだご迷惑をおかけいたしました」
 深々と頭を下げる美鈴。
「私に謝らなくてもいいから、この子に誤ってあげて欲しいかな。一人にしていてごめんなさいって」
「……一度、レミリア様に報告させていただきます。本日はどうもありがとうございました」
 鈴仙からフランを預かった美鈴はそう言って館の中へと戻っていった。
「……ふわぁ、私も、そろそろ帰ろっと。早く戻らないとすぐ朝になっちゃう」
 鈴仙はフランの事が少し気掛かりだったが、これ以上は自分の
出る幕ではないと判断し、永遠亭へと戻っていった。
 ただ一つ。永琳から頼まれていた薬草を採取することを忘れている事を
鈴仙はまだ気づいていなかった。この後、永琳によってこっぴどく叱られるのはまた違う話のことである。

 

―――そして永遠亭。
 西行妖がよく見える縁側に幽々子と妖夢は腰掛けていた。
「ねえ妖夢、わたしお腹空いた」
「ああ、もう! 出かける前にお夕飯取られてたじゃないですか!」
「ちょっと運動したらそんなの全部消化しちゃったわよ。何かおーやーつー」
 先程フランと相対していた姿は何処にもなく、ここには只の食欲魔神が居座るだけだった。
「もう、有れば有るだけ食べちゃうんですから……朝まで我慢してくださいよー」
「そんなこと言って、ほら、ここにお団子隠してるの知ってるんだから」
「あー!! どうしてそれを!!」
「もうおそいわよ、あーん。もぐもぐ……おいし♪」
「折角ばれないように隠してたのに……」
「貴方に隠しごとなんて出来ないわよ。それよりも、熱いお茶を入れて頂戴な」
「そのお団子一本だけにしといてくださいね。全く……」
 妖夢は渋々とお茶を注ぎに厨房へと向かって行った。
 幽々子は、妖夢の姿が見えなくなったのを確認すると、西行妖の方を向いて呟いた。
「わたしはまだ諦めてないんだから。この前は紅白巫女の邪魔が入っちゃったけど……いつか、必ず」
 西行妖を満開にしてみせる。それはきっと、さっきの幻影の桜とは
比べ物にならない位美しいのだろう。それを、あのまだまだ半人前のあの従者と
見る事が出来たらどれほど素晴らしいことなのだろう。
「なーんて、ね。ちょっとあの子に当てられちゃったかしら?」
 うふふ、と含み笑いを堪えつつ、またひとつ団子を口へと頬張る。
 幽々子はふと空を見上げてみた。少しずつ東の空が白んで来ているようだ。
もう夜明けが目の前にまで来ているのだろう。そして、また平和な一日が始まる。
「今日はいい天気みたいだし、たまには妖夢と何処かへ出掛けようかしらね」
 その事を思うと自然と顔が綻んでくる。
「あの娘とお出掛け何ていつ以来かしらね―――」
 そうして、異変と呼べないほどの小さな事件が解決した。
 ただ、それに関わった数人の心情と環境に微妙な変化を残して―――


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